素粒子実験で量子AIを使う足がかりを作るのが夢
ICEPPが新たに始めた量子AIテクノロジー研究の第一期生と聞きましたが。
当初は素粒子実験の研究をしたいと思って理学部化学科から物理学専攻に転向しICEPPに入ったのですが、澤田准教授から量子コンピュータの研究もあると聞き、勉強しているうちに楽しくなって本格的に始めました。入学前は量子コンピュータに興味があるかないかの以前に、殆ど何も知らなかったというのが本当のところです(笑)。最初に行なったことは、アメリカのローレンス・バークレー国立研究所(LBNL)の論文にあった、量子コンピュータを用いた素粒子シミュレーションの量子回路(量子コンピュータ独自のプログラム)を再現することでした。やがて、この素粒子シミュレーションの量子回路を改良することが研究テーマとなり、成り行きでハードウェア制御の研究にまで手を伸ばし、ハードとソフトの中間のミドルウェアが僕の専門ということになりました。
量子回路を組むのは大変でしたか?
何も知らない状態でスタートしたので、最初の1~2カ月は訳も分からず手だけ動かしていました。そのうち自分が知っている量子力学と繋がってきて、加速度的に理解が進んでいきました。量子回路を組んで実機のIBM Quantumで動かしては意味が分からない結果が帰ってくるということを何度も繰り返しながら、研究をどんどん掘り下げていきました。そこで分かったのが、人間が設計する量子回路のままでは無駄なゲート(計算)が非常に多く、量子コンピュータにおけるノイズの影響がどんどん積み重なってしまい、望む答えが出なくなるということでした。それならばゲート数を減らそうと試行錯誤しているうちに、まだ誰も気づいていなかった量子回路の最適化手法を見つけました。そして既出の量子シミュレーションに適応したところ、70%ほどゲート数が減ることがわかりました。これがLBNLとの共同研究に発展して論文を書いたり、LBNLに直接行ってさらに研究を推し進めることにつながりました。修士2年時からはハードウェアに近い研究にも興味をもち、IBM Quantumのような超伝導量子コンピュータにおける多量子ビットゲート(複数の量子ビットに作用するゲート)の実装コストを削減するハードウェア制御手法をIBMと共同開発し、国際学会で発表しました。
量子コンピュータは素粒子研究にとってどんなふうに役に立つのですか?
量子コンピュータは量子力学にもとづいたコンピュータなので、量子力学に支配されているものを対象にするのは得意です。ですから、素粒子研究を行なう我々が量子コンピュータの恩恵を一番受けうる存在なんです。ICEPPでは量子AIを最終的な目標の一つに掲げています。たとえば素粒子実験では新しい粒子を発見したいときに、新しい粒子のシグナルを邪魔するノイズ(バックグラウンド=背景事象)が出てきます。シグナルを正確に観測するには、この二つの事象を高精度に分離することが必要です。量子コンピュータを使った全く新しい原理の機械学習、つまり量子AIによってこれができれば、現状を一気に打破できるのではないかと期待されています。実現するのはかなり先だとは思いますが。
シミュレーションの面ではどうなのですか?
素粒子実験は実験データの解析だけではなく、シミュレーションとの比較が必須です。このシミュレーションでは特に量子コンピュータが活躍すると期待されます。また量子コンピュータを素粒子の検出器のように扱うという方法もあり、実験データを古典コンピュータのように0と1で記録するのではなく、そのまま量子状態として観測してデータ解析するというものです。これはものすごく壮大な計画で、僕もそういうプロジェクトに参加したいなぁと思っています。今はCERNでATLAS実験に参加していて、研究テーマが量子コンピュータから、入学時に元々やりたいと思っていた物理解析に変わりましたが、将来はATLAS実験で行なわれる研究に量子AIを使う足がかりを作りたいというのが僕の目標です。
張さんにとってICEPPとはどんな場所ですか?
何不自由なく研究ができるように、手厚いサポートをしていただいています。先生方も皆世界のトップクラスで、何を聞いても答えが返ってくるんです。先輩も後輩も優秀で、話していてとても刺激的で、モチベーションが高まります。素晴らしいところだらけです。