What’s On!

FOCUS ON

基礎物理は文化のひとつその根を絶やしてはいけない内山 雄祐×齊藤 真彦 2020.07

若手研究者たちは、どのような思いで素粒子物理の研究に取り組んでいるのか。最前線で活躍する2人の若手研究者に話を聞いた。

国際共同実験で、新たな物理を探る

まずは研究内容をお聞かせください。

齊藤 ATLAS実験に参加して、データ解析に取り組んでいます。ATLASは、スイスのジュネーブ近郊のCERN(欧州合同原子核研究機構)で行なわれている国際共同実験です。CERNのLHC(大型ハドロン衝突型加速器)は、全周約27kmの巨大な円形加速器で、光速近くまで加速した陽子同士を衝突させ、さまざまな粒子を生成します。そのなかから、未知の新粒子などを検出する装置のひとつがATLAS検出器です。ATLAS実験はヒッグス粒子の発見にも大きく貢献しました。

私は従来の素粒子理論、いわゆる「標準理論」を超える新物理の探索に取り組んでいます。新物理理論のひとつである超対称性理論では、まだ発見されていない新粒子の存在が予言されていて、それを発見するため、特にATLAS検出器中の「内部飛跡検出器」に着目した物理解析手法について研究しています。また、ディープラーニングや量子コンピュータを解析に活用する、将来を見据えた研究にも取り組んでいます。

CERNのLHCに設置されているATLAS検出器。この巨大な装置で、新粒子の発見を目指す。©CERN

内山 私は、スイスのチューリッヒ近郊で行なわれている国際共同実験、MEG実験に参加しています。MEG実験は、ICEPP(本センターの略称)の研究者が中心になって提案し、検出器を設計しました。電子の仲間であるμ粒子が、陽電子(e+)とγ線に崩壊する事象の観測を目指しています。標準理論を拡張した新物理では、こうした事象がごく稀に起こると予言されています。

第1期の実験は2008年から2013年まで行なわれ、この事象の起きる頻度が2兆分の1以下であることが分かりました。現在は観測感度を1桁高めたMEG II実験の準備が進んでいます。私は第1期のスタートからずっと実験に関わっていて、ここ5年ほどは、MEG II実験で使用される「陽電子タイミングカウンター」の開発と制作を行なってきました。これはμ粒子が崩壊して出てくる陽電子をつかまえる検出器です。MEG II実験は2021年から開始予定です。

MEG II実験における「μ→eγ崩壊」の発生シミュレーション。実験結果は物理の道筋を大きく左右する。©MEG Collaboration
世界を支配する「物理法則」を解き明かす

お二人が素粒子物理に興味を持ったきっかけを教えてください。

内山 高校生のとき、東大を退官された本間三郎先生の講演会で、素粒子の話を聞いたのがきっかけです。東大では物理学科に進学し、やはり素粒子実験をやりたいと考え、ICEPPに進みました。

齊藤 私は物理学科に進んだ後、物理をやるならやはり素粒子だろうと考えていました。さまざまな物理学のなかでも、より根源的な対象を扱う素粒子物理学が魅力的に思えたからです。

内山 雄祐(左)2006年3月東京大学大学院理学系研究科物理学専攻(森研究室)修士課程修了、10年3月同博士課程修了。同年4月より東京大学素粒子物理国際研究センター特任研究員、15年3月より同特任助教。

齊藤 真彦(右)2016年3月東京大学大学院理学系研究科物理学専攻(浅井研究室)修士課程修了、19年7月同博士課程修了。19年8月より東京大学素粒子物理国際研究センター特任助教。

内山 物質をどんどん細かくしていったときの最小単位が素粒子です。それを研究するのが素粒子物理学のひとつの側面ではありますが、私たちが最終的なターゲットにしているのは、実は素粒子そのものではありません。素粒子を通して、この世の中を支配している「物理法則」を解き明かすことを目指しています。

齊藤 素粒子の種類や性質、さらには素粒子同士の間で働く力について調べていくと、私たちを取り巻く世界がどのようにできているのか、そこでの物理法則がどうなっているのかなどが見えてきます。そうした根源的・究極的なものにロマンを感じています。

内山 素粒子物理学の魅力は、実験により、狙った現象を意図的に再現できることです。実験を繰り返すことで、偶然起きた背景事象を排除しつつ、物理法則を精密に検証することができます。

世界を舞台に、研究に打ち込める環境

お二人は、ICEPPの特徴や強みはどこにあるとお考えですか?

齊藤 世界中から最先端の素粒子研究者が集う国際共同研究に参加していること、そしてその最前線である現場に重きを置き、研究・教育に予算をかけていることです。そのおかげで、私もCERNに長期滞在して研究させてもらっていました。日本にいながらリモートでできる研究もありますが、現地で直接顔を合わせながら打ち合わせや議論ができるのは大きなメリットがあります。

内山 私もスイスに常駐しています。大学教員をしていると、授業などの学務があり、海外に長期間いるのは難しいのが通常です。その点、ICEPPでは、スタッフも学生も海外に常駐し、自分の研究を通じて学生を指導する方式をとっています。そのためお互い研究に専念できますし、学生にとっては国際経験を積むいい機会にもなっています。

陽電子タイミングカウンター責任者の内山特任助教(写真中央)と開発・制作に携わるICEPPの大学院学生ら。©MEG Collaboration

齊藤 学生一人あたりのスタッフ数が多いのもICEPPの特徴です。特にATLASはスタッフの数が多く、学生は複数のスタッフから手厚い指導を受けることができます。

内山 さらにICEPPは、ATLASやMEGに加えて、次世代の加速器建設プロジェクトであるILC計画や、小規模ながら独創的なアイデアと実験手法で未知の素粒子現象に迫るTabletop実験にも取り組んでいます。ですからICEPPの学生は、例えば修士課程でILCに向けた新しい測定器を開発し、博士課程ではATLASで新しい粒子の探索に取り組むこともできます。選択の幅があるのも、学生にとって大きなメリットです。

齊藤 もうひとつ、素粒子研究の方法論として、「直接探索」と「間接探索」の両方に取り組んでいるのも、ICEPPの大きな特徴です。前者は探したい素粒子を加速器で直接つくり出そうとするもの。一方後者は、未知の新粒子があるならば既知の粒子の振る舞いが法則から少しズレるはずなので、そのズレを見つけ出す手法です。ATLAS実験やILC計画は直接探索、MEG実験やTabletop実験は間接探索です。両方のアプローチで新粒子探索に取り組んでいるのも、ICEPPの特徴です。

新粒子が見つからないことも、ひとつの研究成果

今後の展望をお聞かせください。

内山 MEG II実験で目標となっている未知の崩壊事象を観測して、新しい物理理論の兆候を見つけ出すことです。それがほかの実験でも検証されれば、いずれノーベル物理学賞の対象になってもおかしくないと思います。

齊藤 私もATLAS実験で新粒子が見つかれば一番嬉しいですね。

内山 何年にもわたって、新たな実験の準備を続けるのは大変です。でも、ついに実験がスタートして、自分が担当した検出器がきちんと動いた瞬間はとても興奮します。

齊藤 実験データを解析して、新粒子や新事象が見つかったかどうか、その結果を最初に見る瞬間もエキサイティングです。そうした研究の醍醐味を味わえる瞬間が数年に一度あるので、日々の地味な研究も続けられます。

ATLAS地域解析センター計算機システムの前で、浅井センター長、田中教授、齊藤特任助教(写真右)

内山 一方で、素粒子物理学の将来を予想するのは難しい時期に差し掛かっているとも思います。ATLASでもMEG IIでも、どんな結果が出るかは実験をしてみなければ分かりません。標準理論を超える新物理の発見が、いつ、どのエネルギー帯であるのかは予想がつきません。

齊藤 たとえ新粒子が見つからなくても、それも立派な研究成果です。このエネルギーの範囲では新粒子は存在しない、ということが確かめられ、理論の方向性を決められますので。ただ、実験を重ねても何も新粒子が見つからない状況が続くと、大規模実験の資金確保が難しくなる可能性があるかもしれません。

内山 その場合は、大規模加速器実験にこだわらず、お金のかからない手法にシフトする必要があります。基礎物理を研究することは、大切な文化です。音楽や芸術、文学が人類に必要なように、素粒子研究の根も絶やしてはいけません。

あらゆる学問は、人類の長い歴史のなかで少しずつ積み重ねられてきたものです。私たちは今、その最先端で研究をしています。物理学者が目指す、この世のすべての物理法則を説明する「万物の理論」の完成は、はるか未来のことでしょう。ですが、現在の位置から一歩でも先に進むことができたなら、人類の歴史に貢献できたことになるわけです。私たちは、そのために研究に取り組んでいます。

SHARE

CONTENTS