ミュー粒子の崩壊から宇宙の始まりを探る
-禁じられた崩壊を通してニュートリノ振動の起源と
大統一理論に迫るMEG実験-
※このたび、イタリアの国際会議「La Thuile 2016」で国際共同実験MEGの代表者・スポークスパーソンの
森教授が、最新の研究成果を発表しました。
森 俊則(東京大学素粒子物理国際研究センター・教授)
大谷 航(東京大学素粒子物理国際研究センター・准教授)
三原 智(高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所・教授)
発表のポイント
- ミューイーガンマ(μ→eγ)崩壊を4年間にわたり世界最高の実験感度で探索した。多くの理論予想に反してミューイーガンマ崩壊は発見されず、その結果ニュートリノ振動の起源となる新物理と大統一理論に厳しい制限を課すことになった。
- 東京大学とKEKの研究チームが新しく開発した優れた素粒子検出器と、スイス・ポールシェラー研究所(PSI)の加速器が提供する世界最高強度の良質なミュー粒子ビームによって、以前の実験より約30倍高い実験感度を達成した。
- MEG実験は終了したが、その経験を活かしたアップグレード実験MEG IIを現在準備中であり、来年よりさらに10倍実験感度を上げて実験を開始する予定である。
発表内容
研究の背景
これまで標準理論を超える新しい素粒子理論として大統一理論の研究が活発に行なわれてきた。小柴昌俊特別栄誉教授が1980年代にカミオカンデ実験を始めたのは、陽子の崩壊を探索して大統一理論を検証するためであった。大統一理論によると、宇宙開闢期には素粒子の相互作用は統一されており、それが破れることによりインフレーションを引き起こして現在の宇宙が誕生したと考えられる。東京大学が1990年代にCERN(欧州合同原子核研究機構)で行なった国際共同実験により、超対称性を入れた新しい大統一理論が示唆され、現在標準理論を超える新物理の最有力候補となっている。新しい大統一理論はスーパーカミオカンデ実験でも検証することは難しい。1990年代後半に、標準理論で禁止されているミュー粒子のミューイーガンマ崩壊が大統一理論によって引き起こされることがR.バビエリらによって指摘された。
一方、1998年にスーパーカミオカンデ実験によって発見されたニュートリノ振動現象は、ニュートリノが質量を持つことを明らかにした。ニュートリノの質量は他の素粒子に比べて極めて小さなものであり、これはニュートリノが他の素粒子とは異なるメカニズムによって質量を得たことを示唆している。このメカニズムはシーソー機構と呼ばれ、M.ゲルマン・柳田勉らによって提唱された。シーソー機構によると、宇宙誕生直後には極めて重いニュートリノの仲間が存在し、その崩壊によってその後宇宙は反粒子が消えて粒子だけになった可能性がある。久野純治らは、重いニュートリノの仲間の存在がミュー粒子のミューイーガンマ崩壊を引き起こすことを指摘した。
このように大統一理論やシーソー機構はミューイーガンマ崩壊を予言するが、その確率はおよそ1兆に1回程度であり、そのように小さな確率で起こる素粒子の崩壊を測った実験はこれまでになく、既存の素粒子検出器を使った方法では不可能だとされていた。
本研究が新しく明らかにしようとした点
上記のように、大統一理論や、ニュートリノ振動の起源と考えられるシーソー機構は、およそ1兆に1回の確率でミュー粒子のミューイーガンマ崩壊が起こることを予言する。この崩壊は標準理論では禁止されている。本研究では、新しく高性能の素粒子検出器を開発して、およそ1兆に1回しか起らないミューイーガンマ崩壊を発見し、大統一理論とシーソー機構の証拠を掴むことを試みた。ミューイーガンマ崩壊が発見されれば、その崩壊確率と崩壊角度分布から大統一理論ないしはシーソー機構の痕跡を調べることが可能となる。発見されなければ、大統一理論とシーソー機構という宇宙の始まりを記述する新物理のシナリオに大きな見直しを迫ることになる。
本研究のために新しく開発した測定技術など
1兆に1回しか起らない素粒子の崩壊を捉えることは既存の素粒子検出器を使った方法では不可能であったため、本研究では東京大学とKEK、早稲田大学との共同研究により、ガンマ線をこれまでにない精度で測定できる世界最大の2.7トン液体キセノン測定器と、素早く大量の崩壊粒子を処理するための特殊な超伝導スペクトロメータを考案、開発した。また、本研究のために必要な毎秒1億個近いミュー粒子を生成できる加速器はスイスのポールシェラー研究所(PSI)にしかないが、東京大学を中心とする日本の研究グループの実験提案がPSIに認められ、その後スイス・イタリア・ロシア・米国の研究グループが加わって、国際共同実験MEGとして研究を進めた。2008年のパイロット実験の後、2009年終わりから2013年半ばまで約4年間に断続的にデータを取得した。
本研究で得られた結果および波及効果
4年間に取得した全データを用いて、ミューイーガンマ崩壊を世界最高感度(およそ2兆に1回の崩壊を発見可能)で探索することに成功した。残念ながら理論による予想にもかかわらず、この探索感度をもってしてもミューイーガンマ崩壊の発見には至らなかった。この結果、ミューイーガンマ崩壊は2.4兆に1回未満の確率でしか起こらないことがわかった。本結果はこれまで考えていたシンプルな大統一理論とシーソー機構のシナリオとは矛盾するもので、宇宙の始まりを記述する標準理論を超える新理論の可能性に関してこれまでにない厳しい制限を加えることになった。
CERNのLHC加速器は昨年より衝突エネルギーを増強して実験を再開したが、そこでも標準理論を超える新粒子はまだ見つかってない。LHC実験では主にクォークやグルーオンと相互作用する新粒子を探索しているのに対して、ミューイーガンマ崩壊は電子やニュートリノと相互作用する新粒子に高い感度を持っており、互いに相補的・相乗的な研究となっている。LHC実験のこれまでの結果とMEG実験の結果を合わせると、超対称性大統一理論はさらに厳しい状況にあり、世界的に新しい理論的な枠組みが活発に検討されている。
今後の予定
MEG実験の経験を活かしてアップグレード実験MEG IIの準備を進めている(図1)。MEG II実験では、MEG実験設計当時にはなかった新しく開発した測定器技術をいくつか採用して、MEGの約10倍の実験感度を達成できる見込みで、およそ25兆に1つのミューイーガンマ崩壊まで捉えることを目指している。新しい測定器は現在建設中であり、今年中に完成させて調整を進める予定である。順調に行けば2017年に実験を開始して、最終感度に到達するのに最低3年間のデータ取得が必要とされる。LHC実験とも競争・協力しながら、今後もニュートリノ振動の起源と大統一理論に迫る研究を続けていく。
●PSIが同時発表したリリース内容:関連サイト
本研究は、科学研究費補助金(日本学術振興会)特別推進研究「MEG実験-レプトンフレーバーの破れから大統一理論へ」(研究代表者:森俊則、課題番号22000004)、「MEG II実験-究極感度ミュー粒子稀崩壊探索で大統一理論に迫る」(研究代表者:森俊則、課題番号26000004)の他、スイス国立ポールシェラー研究所(PSI)、イタリア国立核物理学研究所(INFN)、米国エネルギー省(DOE DEFG02-91ER40679他)の援助を受けて行なわれた。
発表雑誌
雑誌名:The European Physical Journal C(掲載予定)オンライン版は3月8日にe-print server http://arxiv.org に掲載予定
論文タイトル:「Search for the Lepton Flavor Violating Decay μ+→e+γ with the Full Dataset ofdecay in the MEG Experiment」
著者: A. M. Baldini 他 MEG Collaboration(著者名はアルファベット順)